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ワシントンポスト誌 |
広島:懸念される招待 ブレイン ハーデン |
オバマ氏は初めての東アジア訪問において、被爆都市を訪れることを拒否しました。
広島 日本― 金曜日、日本到着時、都合の悪い招待がオバマ大統領を待ち受けていました。どの現職大統領も今まで出席に応じておらず、日本滞在中のハードスケジュール故、都合のつかない招待でした。
それでも多くの日本人はその招待について今年は何度も語ってきました。そして今も続いています:64年前、広島、長崎にアメリカの原爆が何をもたらしたか来て、見てください―と。
オバマ氏は、核のない世界について感動的な演説をしました。 また、2009年ノーベル平和賞を突然受賞しました。彼が過去を断ち切り、人類への唯一原爆使用国アメリカによる兵器で破壊された都市を訪問するという期待感は日本中で盛り上がりました。
「なされたことはなされた」広島で生まれ当地の大学に通う有働はるなさん19歳は語ります。「私は、謝罪は必要としませんが、原爆投下があなた方にどういったことを起こしえるか見たことがないなら、来て見るべきです。」
容易ではない関係
オバマ氏の東京滞在は24時間以内の予定です。大統領として最初の東アジア訪問ですが、彼は”今回”は招待を受けられないと言っています。しかし火曜日日本でテレビ放送されたインタビューでは、「私の大統領任期のある時点でこれらの都市を訪れる機会を持つことを心に留めています。」と語った。
大統領の広島、長崎訪問の可能性について日本側の焦点は、緊密なアジアの同盟関係において生じた緊張感とゆるぎない強固さに現れています。
7月のピュー調査センターの調査によると、日本人の85%がオバマ氏は世界情勢に対して正しい対処をしてくれると信じているとして、日本人から大いに敬意を持たれています。また調査によると1年前、わずか25%の人が、ブッシュ大統領に対して同様な気持ちを持っていました。
しかしアメリカに対してはあまり信頼していません。ピューの調査の3分の2以上がアメリカの経済的影響が日本にとってはマイナスだと言っています。昨年秋日本のアメリカ向け輸出の急落が、半世紀余ぶりに貿易依存国を大きな経済的苦境に追い込んだことを反映しているようだ。
新首相の鳩山由紀夫氏は公にはオバマ氏を賞賛しているものの、アメリカとの関係がやや受身だと、捉えていることから抜け出そうとしています。つまり戦時における国家防衛が条約によって束縛されていると捉えています。
どのために、アフガニスタンにおける米主導の連合軍を支えるインド洋の戦艦への8年間続いた燃料補給をまもなく終わらせようとしています。また日本国内のアメリカ海軍航空基地を移設し8000人の海兵隊員を日本からグァムへ移動させる260億ドルの計画を再開しようとしています。日米は2006年に取り決めに合意し、オバマ政権は鳩山氏の一部再交渉の要望にいらだっています。
この未解決問題は日米同盟において深刻な障害となり、オバマ氏の東京での話し合いにおいても焦点となるのは確実です。
グランドゼロ
こうした交渉の中でありそうもないのはオバマ氏の広島長崎への招待です。にもかかわらず、新聞の社説、教室での討論、夕食時の論争において訪問の可能性の話題は盛んに行われています。オバマ氏のノーベル賞受賞はその期待を高めています。
「過去のノーベル賞受賞者の多くはグランドゼロを訪れた」と東京からおよそ南西530マイルにある広島の中国新聞の社説は述べている。「私たちはぜひ彼自身で来て、見て、核の無い世界への深いかかわりを再認識してほしい。」
多くの日本人の意見の中で、ノーベル賞より重要なのはプラハのアメリカが”核無しで世界の平和と安全を求める”演説だった。 そのスピーチで、「アメリカは−行動する道徳的責任がある」と述べた。 ”唯一核兵器を使った国だからだ。”
広島では、こうした言葉は被爆から生き残った人たちを驚かせ、喜ばせた。坪井すなおさんは20才の時、爆心地から半マイルほどのところに住んでいました。閃光からの熱は彼の顔、背中、腕の皮膚を焼き、耳は溶かされてしまった。それ以来、彼は輸血を必要とする前立腺がん、大腸がん、慢性的貧血を患ってきた。
こうした兵器に関するオバマ氏の姿勢は私たちのものととても近いと、被爆者グループのリーダー84歳の坪井氏は言う。「被爆者たちは長く生きることができません。オバマ氏もそのことを知っていると思います。私たちは彼が来てくださることを強く願っています。」
しかし広島が焼かれた後の数十年間、第二次世界大戦後の長く引きずられた問題に取り組む時、日米首脳には限られた選択肢しかなく、政治的現実をいまだ克服することができていません。
日本の首相は、アメリカを戦争へと向かわせた1941年12月7日のパールハーバー奇襲に関して、その地を訪れることも謝罪をすることもありませんでした。
アメリカでは、日本の被爆者の苦しみに注目することは政府の原爆使用決定を不適切に批判することになると見られてきました。1995年、スミソニアン国立航空宇宙博物館は議員81名の圧力があり、原爆投下の道義的責任を問うことになる展示を廃止しました。2003年、どれほど多くの人が死んだか語る広島原爆投下に使われた飛行機、エノラゲイの展示への提案をこの博物館は拒否しました。
1945年8月6日に原爆が投下されおよそ140000人が亡くなり、3日後長崎での原爆投下で80000人死亡しました。6日後第二次世界大戦は日本の無条件降伏で終わりました。
広島では、公然とオバマ氏への招待は続いています。招待を受け入れる時期が見つからないのは彼1人ではありません。広島市の平和推進課によると、核兵器保有国の現職首脳は、死者の名前が列挙された記念碑をだれも訪れていません。